小谷元彦展 幽体の知覚 に行ってきた

国立新美術館でのメディア芸術祭のために六本木に行ったのですが、せっかくなので六本木の森タワー53階にあります森美術館
小谷元彦展 幽体の知覚 Odani Motohiko : Phantom Limb」
http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/ (森美術館HP)
こちらの企画展に行ってきました。
森美術館は、いつも大変興味深い現代美術の企画展を催しています。入場料は、一般は1,500円ですが、学生は1,000円。しかも同チケットでシティービューエリアに入ることができ、東京を一望することもできます。私も、興味のあった企画展には何回か訪れています。

正直今回の「幽体」という言葉から、私はいわゆるオカルト的なものを想像してしまいました。てっきり、幽霊や妖怪の姿でも展示されているのかと。
しかも小谷氏は学生時代彫刻を専攻しており、彫刻という言葉にどうも古臭い、理解しがたい、というイメージがある私には、あまり行く気はしなかったのです。
しかし、本屋で立ち読みした美術手帖に紹介されていた作品のいくつかを見て、どうもただのオカルトや彫刻ではないぞ、と思い俄然興味が沸いたのです。


前置きはこのくらいにして、展示物についてお話したいと思います。
館内は絶対に撮影禁止(エリアが変わる度に注意喚起の立て札があったほど)、更にパンフレットもないため、記憶に頼って書いていきます。
一応カウンターで音声ガイドを借りたので、作品の解説、作者の思いやコンテキストなども、なるべく詳しく書いていこうと思います。
かなり詳細に書いていますので、これから見に行こうと思っている人にはあまりおすすめできないかもしれません。ネタバレに注意して下さい。


まず入り口に入ってすぐに、壁に大きく引き伸ばされた5枚の写真が目に入ります。
展覧会のタイトルでもある「Phantom Limb」というこの作品には、憂いを浮かべる少女の、目を伏したり、こちらをじっと見たり、そんな姿が写真に収められています。
また、少女の手首から先は赤く染まっており、遠くから見るとまるで手が切断されているように見えます。
しかし実際には、ラズベリーの実を握りつぶしているだけ。
「子供の頃、食べ物で手が汚れたりしたときのあのなんだかおかしい感じは、大人になった今、「汚い」「気持ち悪い」と感じるようになった。」
音声ガイドから作者の声が聞こえます。
いやもう初っ端から「彫刻!?」「幽体!?」となるわけですが、
そもそも「Phantom Limb」というのは、「体の一部が切断されても、そこに痒みや痛みなどの感覚を感じる状態」を表わす医学用語であり
このPhantom(幽体)は、お化けでもなんでもない。そこにないように見えるけれど、感じる、感覚。
今回の展覧会の趣旨を表わしているようです。


小鹿の剥製。しかしただの剥製ではない。四肢を矯正器具に支えられていました。
純粋さや愛嬌と共存する、残酷さを感じます。


隣には、人間の髪の毛を使って編んだドレス。
タイトルの「ダブルエッジド・オブ・ソウト」には、相手を思うが故に傷つけてしまう、「想い」の両端を表わしているらしいです。
死してもなお長いままでいる髪の毛、どこか生々しさがありますね。


ピアニストたちは昔、より上手く弾くために、自らの指を吊り上げる矯正器具を使っていたそうです。
「もっともっと、もっと上手く、もっと指を思いっきり、もっと!!」
痛みを伴いつつも、どこか優越感に浸ることのできる拷問器具。
小谷氏はそれを、バイオリンのようなデザインによって再現していました。きれいでした。


熊の剥製でできたドレス、そして天井からは矯正器具によって無理やり花開いた百合のオブジェ。
もう完全に彫刻関係ねぇ…と思うと、巨大な蝋の回転体に出くわします。
髑髏のような形をしている。表面は、トゲトゲ。
回転することによって生まれた遠心力を用いて、表面の突起達を表現したらしい。
壁際にも、その小さな仲間たちが飾ってあります。


次の薄暗いエリアには、天井からどろどろと落ちてきている…という感想が生まれそうな彫刻が飾ってあります。
壁際には小動物の歯を集めて作ったピストル、絵。
最初のエリアより、生きている感覚が少なくなった感じだ。死の中の生というよりは、生の中の死、みたいな。


隣の部屋には、またもや髑髏。天井から赤い液体を得て、その下では延々と渦が発生している。
横にある巨大な装置は、海上で下半身に身につけるスカートのようなもの。
なお身につけますと、完全に波に流されるだけですし、下半身はどんどん冷たくなって感覚は麻痺、上半身はむき出しですが何もない海の上でものすごい孤独や不安を感じるのです。
これはもう、拷問器具。


さて次のエリアからはけたたましい音が聞こえます。何かと思えば滝でした。
といっても本物の滝ではなく、円柱状になったカーテンの中に人が入り、投影された映像や音を鑑賞するという、インスタレーション
外から見ると、ただ滝の映像が円柱に映し出されているだけのように見えるのですが…
(中に入ったときの驚きを感じたい人は見ない方がいいかも。よければ下部を反転させて下さい。)
靴を脱いでカーテンの中に入ると、なんと床がない!落ちるっ!?
…と思ったら、鏡でした。おそるおそる中へ進む。
この空間、天井も鏡でできていまして、上下の巨大な合わせ鏡が構成されています。
しかも周囲は滝の映像が流れていますから、それが鏡に映ることによって、混乱しまくり。なんだか下から流れてきているような、上へ流れていくような、でももっと先は下に流れてて…
そして足元には、深い深い穴が開いていて、中にいる人たちはみんな、その底なしの闇に飲まれていく。
ひっきりなしに響くゴオオオオという滝の音、床が下降する感覚、そして足元には、闇。
ちゃんと区切りのよいところで入れ替わりが行われますが、あんなとこずっといたら気が狂いそうだ。
「時間を粘土のようにこねることができるのです」
と、音声ガイドは言っていました。これのタイトルは、「Inferno」。


次のエリアは、やっと「彫刻」という感じ。
でもやっぱり「生き物の移動、変化、圧力や重力、浮力によって生み出されるもの」がテーマだとかで、見てもそれが何の骨なのか、そもそも骨なのかどうかもわからない。
鳥が壁に当たって死んだ瞬間がそのまま展示されていたことと、「とぐろが気持ち悪いのはどうしてだ?かっこいいじゃないか。クエスチョンマークもとぐろっぽいな」なんていう小谷氏の言葉が音声ガイドから聞こえてきたことは覚えています。


そしてまた、彫刻はなくなる。
いや、なんかもう「彫刻って何だ?三次元の無機物を削ることか?本当にそれだけ?」なんていう疑問が浮かびつつあった。
その部屋にあったのは二つのビデオ作品。
片方は、ブラウン管に映し出された殺人鬼。チェーンソーを持って、何かを一心不乱に切っている。
画面の横には、血しぶきを浴びた服とチェーンソーが展示してある。
ヴィィィィーーーンとバリバリバリバリという音がけたたましく鳴り、映像もかなり乱れていました。
実はこれは小谷氏本人で、切っているのはただの木なんです。彫刻家が木を切るということにかけて、なんだかシャレているのかもしれません。
もう一つの映像「Rompers」は、鑑賞者がヘッドホンを付けて楽しむもの。
教育テレビで流れてそうな、子供番組だった。音楽も映像も、何もかもがファンシー。
…そんなわけがなかった。よく見たらカエルみたいなキャラクターは人間の耳の形してるし、木から溢れる蜜は妙にリアルで、背景のジオラマ感とはかなりミスマッチ。
しかも木の上で歌ってる女の子、さりげなく舌を蛇みたいにビヨッ!と伸ばしてハエ食ってるし。
解説には、摂食や排泄、性的行為を示唆するとあったけれど、排泄と性的行為はちょっとよくわからなかったです。


再び彫刻らしい空間へ。
まず、小谷氏が川で拾った石が、顔のようだったので、それを模倣して大きく作成したもの。
それから、やはり天井からどろどろとぶら下がっている、塊。ただこちらは先端が床に面してました。
これは、小谷氏が子供の頃、初めて自分にイボができたときの恐怖や気持ち悪さを表わしているらしい。確かに表面がイボのようにボコボコしている。色も黄色だし。
並んで、心臓を持った裸の女性と、馬に乗って駆ける骸骨。
ふと、骸骨が刀を持っているのに気づく。刀ってことはやっぱり、日本人が作ったんだなぁ。でも日本人が作った彫刻にしてはなんだか、躍動感がありまくり。
この二つは、西洋から突然やってきた文化の彫刻に対しての違和感のようなものを表わしているんだそう。それまで日本では彫刻といえば、仏像などの偶像としての存在だったが、今はそのような内面的なものがおろそかになってはいないだろうか?という問いかけのようです。
そして最後に、ヒルが登る大きな木の幹の上で、自分の目を潰そうとしているようにも見える、祈る少女の姿がありました。
タイトルは確か「I can see all」。全てを見るためには、一度その目を閉じ、祈りを捧げる必要があるかもしれない…ってさ。
私の中での、彫刻への考えが変わっていった。


いよいよラストへ近づいていきます。
その部屋は、真っ白。壁も、作品も、真っ白。
作品は、全てが何か、オーラのようなものをまとった姿として展示されていました。
自分ともう一人の自分が近づく、ドッペルゲンガー。大きな百合の花。手からあふれ出すもの。
何かをまとった双子、何かを奏でる無数の手、口からあふれ出すもの、ユニコーンにまたがる女性の流れる何か、、
もう「何か」とか「もの」としか言いようがないですね。だから彫刻にするのかな?


そして最後、夜景がバックになる、森美術館ならではのあのフロア。
細く大きい垂れ幕に、映像が映し出されています。タイトルは、「Blood Soup Bubble Drawing」。
もう夜も更けていたので、暗闇に浮かぶ映像はとても鮮明に見えました。
シャボン玉が次から次へと現れ、はじけ、白い壁に飛び散る…鮮血。
実はこのシャボン玉には小谷氏自身の血が混ぜられており、浮遊しているときこそうっすらと色づいた美しい球体であるが、はじけたその瞬間、それは一般的に「気持ち悪い」血の飛散となるのです。
体の中を駆け巡る、生の象徴である血は、一度そこから出てしまえば、死を象徴する血となる。
そんなようなことが、解説に書いてありました。


以上で展示物は終了です。
個人的には、「Phantom Limb」「Inferno」「Blood Soup Bubble Drawing」が印象に残りました。「Phantom Limb」はポストカードがあったので買っちゃいました。


作品の数々からわかるように、全くオカルトだとか彫刻だとか、そういったイメージには当てはまらない展示でした。
普段見えないものを形にする、ということ。
それは何も木やブロンズだけではなく、映像であったり、人体の一部を用いたものであったりする。


展示会は27日の日曜日まで行われています。
森美術館の後は、静岡県立美術館、高松市美術館熊本市現代美術館、へと巡回するようです。
ぜひ一度、足を運んでみて下さい。